#8 鍼はいつからあるのかな?

中堅鍼灸師のマツハリ先生と健康マニア宇宙人のキュウタロウ君のドタバタ鍼灸問答です。わかりそうでわからない、鍼灸の世界を垣間見てみましょう!

#8 鍼はいつからあるのかな?

 

キュウタロウ : ねぇねぇ、鍼って昔からあるの?
マツハリ先生 : あぁ。あるとも。鍼だけじゃないよ。お灸だってあったんだ。

キュウタロウ : どれくらい昔からあるんだろうね?
マツハリ先生 : そうだなぁ今日は鍼の歴史について勉強してみようか。

キュウタロウ : うんうん。マツハリ先生は何かって言うと歴史とか伝統っていうものね。
マツハリ先生 : そんなに悪く思わないでおくれよ。私たち人類が今日ここにいるのも、ご先祖様から脈々と命をつないでもらったからなんだから。

キュウタロウ : 僕のご先祖はよくわからない。
マツハリ先生 : その話には触れないでおこう。

キュウタロウ : 何の話してたんだっけ。。。
マツハリ先生 : 鍼っていうのは、どこで誕生したかわかるかい?

キュウタロウ : 鍼は東洋医学だから中国。
マツハリ先生 : そうだね。いまは中華人民共和国っていう国のある場所だよね。

キュウタロウ : その言い方おかしくない?中国でいいんでしょ?
マツハリ先生 : いや、いいんだ。古代中国が発祥ってことがいいたいからね。

キュウタロウ : 今の中国と昔の中国は違うの?
マツハリ先生 : 今の中国、つまり中華人民共和国は1949年建国。それまでは3000年以上にわたり、幾つもの王朝の興亡があったんだ。漢民族が支配していたのは前漢、後漢、宋、明、中華民国、中華人民共和国だけ。他は異民族支配なんだよ。

キュウタロウ : なんか異民族支配っていうのは大変なんだろうね。
マツハリ先生 : 支配者が変わるっていうのは、大変なこと。まして異民族ともなると文化や風習がまるっきり連続性が絶たれる可能性がある。

キュウタロウ : そんなに大変なことが何度もあったの?中国って。
マツハリ先生 : 例えば秦の始皇帝は焚書坑儒といって、多くの本を燃やしてしまったんだ。医学や占いの本は例外とされていたけど、少なからずダメージがあっただろうね。

キュウタロウ : 知識者層は医学だけに通ずるわけではなく、政治にも通じていたってこと?
マツハリ先生 : そうだね。医学だけ勉強しているわけじゃないからね。広く物事に通じていると好まずとも皇帝の意に反しちゃうこともあっただろうから。

キュウタロウ : そういう貴重な人材の損失をマツハリ先生はダメージって言ったんだね。
マツハリ先生 : そうだよ。医学書は例外といっても、政治的な意見のある医者の身は安全ではなかったんだ。

キュウタロウ : 今の感覚で歴史を想像してみると誤解が多いのかもしれないね。
マツハリ先生 : そう、その通り。だから、冷静な視点が必要だよね。そういう意味で、鍼灸の発祥は古代中国って言い方がいいと思うんだ。

キュウタロウ : それなら間違いないんだね。今の中国と昔の中国は似ているけど同じじゃないってことだよね。
マツハリ先生 : そうだね。鍼灸の歴史は一口で語るには難しいけど知っておく必要があるね。

キュウタロウ : 鍼灸の歴史、おおまかでもいいから聞きたいな。
マツハリ先生 : それでは、大きく3つにわけて説明するとしよう。ひとつは今日お話する東洋医学の流れ。次に古代中国での発展。そして最後は日本での更なる発展についてだよ。

キュウタロウ : 了解。じゃ、まずは東洋医学の流れっていうお話だね。
マツハリ先生 : 無理に東洋ってくくるつもりはないんだけど、私は西洋医学の歴史とは話が違う点があるから、ここではこういうね。

キュウタロウ : わかった。東洋も西洋もない昔から話が始まるってことだね。
マツハリ先生 : 昔むかしの大昔。人間が人間らしくなったころはいつ頃だろうね。だいたい5万年前としておこうか。人類が文字を覚えたのが直近の1割って覚えている。それが5000年前だから、だいたい5万年前から人類って考えておくね。

キュウタロウ : そりゃまたかなり昔の話だこと。
マツハリ先生 : 昔は、まだ農耕だけで生活していたわけじゃないんだ。獣を狩りをしたり、木の実や貝を採取していたんだね。だから、生きるためには食べ物が必要。その食べ物を手に入れるためにも、文字通り「命がけ」だったわけなんだよ。

キュウタロウ : 医療がしっかりないというのは、大変なことなんだね。
マツハリ先生 : 人間っていうけど、ほとんど野生だった。だから、ケガをすると動物と同じような行動を取ったことは簡単に想像できるよね?犬やネコだって、傷口を舐めたり、悪いものを食べたら下したり、もどしたりする。そしてしずかに寝ていようとするものなんだよ。これらは本能的医療行為って言えるものなんだ。

キュウタロウ : 本能的医療行為ね。
マツハリ先生 : そうやって本能的な医療をやっていると自然と学習するわけだ。吐いたあとに、水を飲むとダメだとか、お湯なら大丈夫だとか。まだ本能の域を脱していないかもしれないけれど、徐々に経験が積まれていく。この経験は体験ではなくて、情報として共有されていくようになる。人間には智恵があるからね。

キュウタロウ : 学習するんだね。今度は食べ過ぎないようにしようとか。早く寝なきゃとかって。
マツハリ先生 : 次に呪術的な医療が混ざってくる。喉が渇いて具合がわるくなるのは、毎年同じ頃だとしよう。冬の乾燥に耐えられないのは、自然現象ではなく何か大きな力が影響しているのではないかと考えるようになるわけだ。また本能的医療、経験的医療の知識を蓄えたもののなかに突出した人物が存在するとする。そうするとその人は不思議な力を持っていると思われるわけだ。突然現れて、「冷たい水はダメだからお湯を飲みなさい」って忠告したりするわけ。

キュウタロウ : そうすると神秘的な力っていうか超能力があるって思うよね。
マツハリ先生 : 神や悪霊、穢れ、祟など当時の世界観の中から呪術的な医療行為がしっかりと確立するようになるわけだよ。

キュウタロウ : 本当に超能力じゃないの?
マツハリ先生 : 超能力というより、いまでいう自己催眠や集団催眠などを扱えたり演出できる人物が現れても不思議ではないよね。

キュウタロウ : そっか。超能力かもしれないけど、集団催眠だったり、麻薬や興奮剤だったかもしれないんだね。
マツハリ先生 : それらを含めて、呪術的医療行為っていうことにしておこう。そのような医療が主流である時代があったわけさ。

キュウタロウ : 本能的医療、経験的医療、呪術的医療と発達してきたね。
マツハリ先生 : 次に、ここで大きな変化、文字の発達を迎える。いままでは個人や先祖代々、または民族で持っていた医療という知識が文字を通して集積することが可能になったわけだ。時間や場所を関係なく学ぶことができるようになった。だから、何が体によくて、何が悪いか、どのようなときにはどのようにすればよいかという情報がかなり集めることが可能になったんだ。医療の学としてのスタートがこの頃だね。

キュウタロウ : 医療っていうのか宗教っていうのかわからないね。
マツハリ先生 : 医学っていうのは、人間の苦悩のひとつっていうのは洋の東西を問わず理解してもらえるよね?大きな悩みになるわけだ。その悩みを解消するためには、宗教と親和性が高いものなんだ。だから、ある程度の期間は宗教と医療が同じように提供されていた時代があるんだ。まぁ多かれ少なかれいまでもそのような流れはあるけどね。

キュウタロウ : ここまでは西洋も東洋も共通する感じだね。
マツハリ先生 : そうだね。ここから医療、医学は偶然ではなくてしっかりとした方法論が生まれ別々の歩みになるんだ。

キュウタロウ : 西洋はどうやって医学を構築していったの?
マツハリ先生 : 科学という見方が生まれたのが大きいね。

キュウタロウ : 科学って?
マツハリ先生 : 原因を追求し、再現して、仕組みを理解しようとしたんだ。

キュウタロウ : 原因を突き止めるっていうのは今でも普通に考えるよね。
マツハリ先生 : そう。まさに科学さ。

キュウタロウ : じゃ東洋はどうしたの?
マツハリ先生 : 実は科学化とは違う見方をもっと早くからしていたんだよ。

キュウタロウ : それは何?
マツハリ先生 : それは、自然の観察さ。つまり、実験的自然科学ではなく観察的自然哲学なんだよ。

キュウタロウ : 観察的自然哲学?
マツハリ先生 : 東洋では、ありとあらゆることを熱心に、また根気強く観察したんだよ。

キュウタロウ : 農業も天文学も航海術も、多くの自然の観察から始まったんだろうね。
マツハリ先生 : そう思うね。そういう根底の考え方の差がやがて大きな違いとなって現れてくるんだ。

キュウタロウ : 大きな違いって何?
マツハリ先生 : それは、哲学的な差なんだよ。簡単に言うと、自然を征服するか、自然と共に生きるかってことさ。

キュウタロウ : そういう考え方の違いが医学にも影響しちゃうんだね。
マツハリ先生 : 何度も言うけど、どちらかが良くてどちらかが悪いってわけじゃない。そういう現実に即して文化が発展してきたってことだよ。

キュウタロウ : その点はよくわかったから大丈夫だよ。
マツハリ先生 : それはよかった。それでは、次回は古代中国での鍼灸の歴史について説明するね。

 

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