中堅鍼灸師のマツハリ先生と健康マニア宇宙人のキュウタロウ君のドタバタ鍼灸問答です。わかりそうでわからない、鍼灸の世界を垣間見てみましょう!
#5 気ってなんなの?
キュウタロウ : ねぇねぇマツハリ先生、気っていうのも東洋医学なんでしょ?
マツハリ先生 : そうだね。独特の表現かもしれないね。
キュウタロウ : マツハリ先生は気が見えるの?気がわかる?気が出せるの??
マツハリ先生 : キュウタロウ君はだいぶ気に興味があるんだね。
キュウタロウ : そりゃそうだよ。不思議じゃないか。気ってなんなの?ねぇ教えてよ。
マツハリ先生 : 私はそれほど神秘的には考えていないんだよ。ガッカリしないでおくれよ。
キュウタロウ : えっどういうこと?
マツハリ先生 : まず、気は目に見えるものではない。気がわかるかどうかは、わかる方法がある。気が出せるかどうかというのは、気に対する考え方がわかれば自然に答えが出てくるさ。
キュウタロウ : なんか説明できるなんて逆に驚き。よくわからないものか、もったいぶって教えてくれないものだと思ったよ。
マツハリ先生 : まぁ、定義があるようでないようなものだからね。東洋医学っていうのは、その多くが考え方が抽象的だったり概念が優先するような節があるから理解するまで大変かもしれないね。
キュウタロウ : よく気功とか言うでしょ?あれって気に関係するの?
マツハリ先生 : それに関しては、私は専門外だからなんとも言えないな。鍼灸の気とは違うものだと思うよ。気功に関してはどのような理論であるかあまり耳にしたことがないからね。機会があったらぜひ教えてほしいと思っているよ。
キュウタロウ : なんでも東洋医学と言えば同じじゃないんだね。
マツハリ先生 : まぁ鍼灸の世界に限ってもいろいろな意見、考え方があるからね。大変だよね。
キュウタロウ : マツハリ先生も苦労したんだね。
マツハリ先生 : 私も私のやり方がすべて正しいという主張をするつもりはないんだよ。ただ、私は私が納得していることをやっているし、歴史的に正当性があると思っている。つまり、堂々と主張できることが大切なんじゃないかなって思うんだよ。
キュウタロウ : じゃさ、気のことについてもう一度説明してもらっていい?
マツハリ先生 : 鍼灸における気というのは、ある作用があると考えるわけだ。だいたい六つの作用があるって考える。だから、必ずしも見えるとか感じるとかそういうわけではないから注意してね。
キュウタロウ : うん。わかった。
マツハリ先生 : 六つの作用というのはここに書いておくね。このひとつひとつの説明は、またしっかり話そうと思っているからね。まずはこのような作用があるって理解してね。
6つの気の作用
推動作用 血の流れを促進し内臓を順調に動かす。
防御作用 邪気が体内に侵入するのを防ぐ。
温煦作用 体温を保つ働き。
固摂作用 出血した場合に止血するために固まる。
栄養作用 文字通り体の隅々まで栄養を届ける働き。
気化作用 気を血や津液(液体)と相互に変化させる働き。
キュウタロウ : こういう作用があるということで、気が存在していると言うんだね。
マツハリ先生 : そうだよ。例えば外で風が吹いているとするでしょ?
キュウタロウ : うんうん。
マツハリ先生 : 風が吹いているというのはどうやってわかると思う?風は目に見えないよね。ただ、木の葉が舞っていたり、木が揺れていたり、雲の流れが早いことによって風が強いってわかるわけだ。
キュウタロウ : そういうものなのかな?
マツハリ先生 : それじゃね、北風って想像してごらんよ。
キュウタロウ : うん。想像した。
マツハリ先生 : どうだい?
キュウタロウ : えー、どうって言われても…。ヒューって音がして家の窓枠がガタガタ音がするかな。乾燥している感じ。
マツハリ先生 : そうだよね。風って目に見えないけどキュウタロウ君に想像できたように、はっきりとわかるよね。
キュウタロウ : おぉ、そういうことなのか?なんか騙されている気がする。
マツハリ先生 : そんなことないよ。目に見えていることが全てではないってことだから。
キュウタロウ : マツハリ先生が言いたいことはつまりこうだね。僕が風をイメージしたときは風は風じゃなくて風の周辺のことから推測しているに過ぎないと。
マツハリ先生 : そうなんだ。だから、気の存在も同じ事。気の周辺の事象、つまり定義によって理解することが可能なんじゃないかな。だから、気が見えるとか見えないとか、それだけが存在の証明ではないと思うんだよ。
キュウタロウ : 果たしてそれでいいの?
マツハリ先生 : まぁね。いいかどうかは別として、そのような考え方のもとに組み立てられているんだ。だから、それが正しいかどうかは、その根拠によって成立していることがある以上、疑わずに実践に移したほうがいいと思うんだ。
キュウタロウ : そういう意味ではすごく実践的なものなんだね。
マツハリ先生 : 理屈だけでは医療の意味がないからね。もともと東洋医学はとてつもない観察から理論を導き出しているんだ。つまり経験だよね。これはひとりが何十年っていうレベルじゃない。何人も何人も先祖代々受け継がれた莫大な智恵の集積なんだよ。
キュウタロウ : それを理解しやすくするために、いろいろ考えたんだね。
マツハリ先生 : そうだね。気があるかないか、ということより、そのような考え方によって、より深い理解が可能になるのならそれでいいじゃないか。またそうすることによって誰かに伝えることが可能なるわけだよ。そうやって健康や病気というものの捉え方まで深く深く理解しようとしたんだね。
キュウタロウ : きっとそうだね。マツハリ先生が治れば何でもいいっていうのは小さい考え方だっていうのが少しわかる気がする。
マツハリ先生 : 気が見える、見えないとか、存在する、存在しないっていうのは、興味はあるかもしれないけど、あまり意味のない議論になってしまうと思うんだよね。実践して効果がある。そしてそれには理論がある。そこまでわかれば、理論があっているかどうかではなくて、理論を覚えて実践できるようにした方がいいかなってね。
キュウタロウ : マツハリ先生は何かに例えていたよね?
マツハリ先生 : あぁ、楽譜と演奏家の話しでしょ?
キュウタロウ : そうそう。演奏家が下手だと演奏家が批判されるのに、占い師が下手だと占い師じゃなくて占いが批判されるっていうやつ。
マツハリ先生 : 楽譜も占いの原典も、普遍的なものなのに表現者によって評価がわかれるっていうのは不思議かもね。
キュウタロウ : 鍼灸はどっちかというと後者だよね。
マツハリ先生 : そうだね。古典の再現者を評価しないで、古典の評価になりやすいんだよね。このあたりも悩ましい問題だと思うね。
キュウタロウ : 鍼灸が効かないっていうのは、鍼灸師の問題であって、鍼灸の問題ではないっていうことか。
マツハリ先生 : そうなんだ。先輩のお話で大切なことを言っていたよ。「鍼灸に限界はない。鍼灸師に限界があるだけ。」だから、しっかり勉強しなさいってね。
キュウタロウ : マツハリ先生ももっと勉強しなきゃね。
マツハリ先生 : そうだね。応援しておくれよ。
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